与論の十五夜踊とは?
与論町城(ぐすく)集落の地主(とこぬし)神社で旧暦の三、八、十月の各十五日に行われる豊年祭に、島中の安穏、五穀豊穰、子孫繁栄等を願い奉納されるもので、大和と沖縄の芸能の両要素に当地独特の風を加えた民俗芸能です。
この踊りの由来は諸説ありますが、永正5年(1512年)に与論世之(よの)主(ぬし)として琉球国から派遣され、与論島を治めていた花城真三郎(はなぐすくまさぶろう)が島民慰安の娯楽をつくるため、長男を琉球と奄美群島の島々に派遣して風流踊りを、次男を大和に派遣して狂言踊りを学ばせ、三男には島内の歌・舞を調べさせた上で、室町時代の永禄4年(1561年)にこれらの踊りを組み合わせて創始したといわれています。
与論の十五夜踊の組織と構成
踊りは、花城真三郎の次男が創設したと伝わる大和風の一番組と、花城真三郎の長男が創設したと伝わる沖縄風の二番組で構成されています。
一番組は組を統括する座元の人を含め1人一役で9名、二番組は座元、旗振り、太鼓打ち、手引き、踊り子8名の計12名からなります(令和6年3月末時点)。また、二番組は地主神社に対するお祭りを行う役割や長男が創設したという由来から、一番組より格式が高いとされています。かつて踊り子は、昭和期まで二番組・一番組ともに城集落や隣の朝(あさ)戸(と)集落の2組で世襲されていましたが、後継者不足もあり現在は各組とも門戸を広げ有志によって構成されています。
二番組の特長

二番組の踊り子はサジと呼ばれる布を頭から被り、顔を隠します。サジの上から色物の細長い布で鉢巻をし、頭の後ろに長く垂らします。服装は紺色又は黒色の着物に帯を前で結び、黒足袋をはいて日の丸の扇を持ちます。
一番組の特長

一番組の踊り子は紙と竹ひごで作った仮面を顔に付け、クシ竹、木刀、シュパ、チグガサーといった小道具を用います。服装は白衣と白の袴下、黒足袋を主に、役柄によって芭蕉布の羽織や黒い羽織などを着ます。また、仮面の内の一つは「朝伊名面」と呼ばれる大きなお面で、超人的な力を持つ役の際に用いられます。
二番組・一番組 共通演目 雨賜り(あみたぼうり)
「雨賜り」は、一番組と二番組が合同で行う雨乞いの踊りです。大旗(カシラ)を持つ旗振りの人を先頭に、太鼓打ち、金盥(かなだらい)打ち、三線ひき、二番組の踊り子の順で行列をつくり「あめたぼうり、たぼうり、しまがぷどぅゆがぷう」と三回繰り返しながら歌い踊ります。三回目の最後には旗振りの人が「さー」と2回叫びこの演目は終わります。
大旗(カシラ)や太鼓は、十五夜踊りの中でも重要な「神様」とされており、特に大旗は「この旗が倒れると倒れた方角の人が死ぬ」と言われるほど重要な道具(祭具)です。


二番組 一度いふて
「一度いふて」は、二番組は「雨賜り」からそのまま二番組によって踊られる扇を使った踊りです。
ゆったりとした歌い方をしているので、歌詞の聞き取りに難しいところはあるが、歌詞の中に「そなた百まで我は九十九」「七里八里の山道くえて、来るは誰(たあ)がため故か様が故」という歌詞があり、愛する人への想いを歌った歌詞と思われます。

二番組 この庭
「この庭」は、一番組の「三者囃子」の次に二番組が踊る演目で扇を使った踊りです。ゆったりとした歌い方をしているので、歌詞の聞き取りに難しいところはあるが、「くぬ庭ぬ内に、参りて見りばやな、見事八重ぬ上に、黄金(くがに)花咲く。」「去年(くどぅ)より今年(くとぅし)、世間なほよし」とおめでたいことや世間がよりよくなっていくことを歌っており、世の中がより良くなっていくことを祈った歌と思われます。

二番組 今日の嬉しやや(しゅーぬふくらしゃー)
「今日の嬉しやや」は、扇を使わない手踊りで「かぎやで風」や「御前風(ぐじんぷう)」とも言われることがあり、歌詞には「今日の嬉しやや、なをへちゃな、たてる」とあり、今日の嬉しいことはたとえようのないとてもすばらしいことであると歌っている。沖縄でも「かぎやで風」や「御前風」はおめでたい場で披露される踊りであり、人々の喜びを示す演目と思われます。


一番組 三者囃子(さんばすう)
「三者囃子」は、一番組が二番組の「一度いふて」の次に踊る演目で、大明(だいみょう)、太郎(たろう)小座(こざ)、傘売りの三人で演じます。内容は、豊年祭のお祝いのため大明が家来の太郎小座に「末広がり」(「扇」のこと)を都から買ってくるように命じたものの、「末広がり」のことを知らない太郎小座は都の傘売りから「ボロ傘」を「末広がり」とだまされて買わされてしまいます。この時「一貫文」を支払っているので、大体の金額ですが数万から十数万円をボロ傘に支払っています(一貫の相場は計算基準が今と異なるので凡そのものです)。
その傘を持って帰ると、大明から見事に叱られてしまい、危うく切り捨てられそうになります。そこで太郎小座は傘を買った際に教えてもらったご機嫌取りのための踊りを披露します。その踊りを見た大明は機嫌が良くなったところで演目は終わります。


一番組 松尾姫(まっちゅうのひめ)
「松尾姫」は松尾姫、小三、源助、助五郎、郎等の5名で演じます。内容は、松尾姫が昔、人さらいに合った際、身代わりとなって女郎となった姫を助けるため、小三を通じて源助に姫の見受け(引き取り)の話をお願いし、その話が上手くまとまります。その話がまとまった前祝いを松尾姫と源助で行っていたところ、松尾姫の旦那である助五郎が帰ってきます。松尾姫と源助が二人で酒を飲んで酔っているところに出くわした助五郎は、二人の仲を疑い、怒って松尾姫を殺してしまうという演目です。


一番組 長刀(なぎなた)
「長刀」は有名な牛若丸(後の源義経)と弁慶の五条大橋での出会いと戦いを演じたもので、牛若丸役と弁慶役の2人一組で演じられます。演目は短いですが、牛若丸役の持つ木刀と弁慶役の持つ長刀を模した竹の棒が打ち付け合う様は迫力があります。


一番組 二十四孝(にじゅうしこう)
「二十四孝」は、二番組の「この庭」の次に一番組が踊る演目で、長者(ちょうじゃ)大翁(うぷすー)、筑登之(ちくどぅん)、雲上人(ぺーきん)、坊翁(ぼうすう)、ミトガネの5名で演じます。内容は、80才を過ぎ高齢となった大翁が息子三人(筑登之、雲上人、坊翁)に対して、彼らの子ども(大翁の孫)を殺して、子どもの飲んでいる乳を飲んで生き永らえたいとい話をします。この話を持ち掛けられた長男の「筑登之」と次男の「雲上人」は即座に断ります。しかし、三男の「雲上人」は奥さんの「ミトガネ」と相談した結果、「子供はまだ産めるが、親は死んだら会うことはできない」と大翁の話を受け入れます。
そして、坊翁とミトガネは大翁の指定した子どもを埋める場所を掘ってみると、そこから黄金や白銀のお宝が出てきました。このお宝は子どもに与えるために大翁が蓄えていたもので、実は大翁が提案した話自体も息子の中でだれが一番親思い(親孝行)なのかを図るための企てでした。
演目の最後には、子孫繁栄を謳う「うしゅくがじゅまる」が演奏されて演目は終わります。


獅子舞(旧暦八月十五夜のみ)
獅子扱い、獅子の頭、獅子の尻尾、太鼓打ちの4名で演じます。演目では、「獅子扱い」の人が「しーしがもうれば、うみさいなー」(獅子がまわります、ご覧ください)と言いながら獅子を操って会場を練り歩きます。この獅子の頭にかまれると厄払いになると言われています。太鼓の音に併せながら体を震わせ、歯を鳴らす獅子の迫力ある動きが人気の演目です。

綱引き(旧暦八月十五夜のみ)
一般の参加者も含めた全員で綱が切れるまで綱を引っ張り合います。綱が途中で切れると、その綱の藁で周辺の人とお互いにたたき合います。こ厄払い、無病息災に過ごせると伝わっています。なお、綱引きで使う綱は、城集落の人たちが集落総出で作成したものを用いています。

全員参加 六十節
六十節は十五夜踊りの最後を締めくくる演目で、この演目は二番組・一番組合同で行うとともに、一般参加者も自由に参加してカチャーシーをして締めくくります。演目は、最初にめでたい日を謳う祝い歌で始まり、次第に仏様について問答する仏歌に替わっていきます。


二番組 沖泊り
沖泊りは六十節も終わり大旗も降納した後、最後に二番組が一列となって地主神社へ奉納する演目(演目というよりも歌?)で、この「沖泊まり」が終わると二番組、一番組が退場する、十五夜踊りの実質的な最期となる演目です。また、この時は来賓、一般参加者含めた会場の方々にも、静粛に地主神社に向かって起立を求めるように、行事の締めとなる重要な演目です。
この演目では、「石なごう石ぬ、大石(うぷいし)成るまでぃむ、御蔭治(うかぎおぅち)みしょうり、我(わあ)が王がなし。」(私訳:石が大きな石になるまでどうかわが王様治めて下さい?)とあるように、この素晴らしい世の中(治世)がながく続くことを祈っている歌と思われます。

十五夜踊の歴史
1561年 | 与論十五夜踊りが創始される 当初はシニグ祭の中で踊られ、シニグ踊りとも言われる |
1871年 | 地主神社を建て、氏神をまとめて祀る シニグ祭・ウンジャン祭が禁止される |
1884年 | 経済的な理由により与論十五夜踊が中止される |
1890年 | 災害や飢餓・火災の頻発があり、与論十五夜踊が復活する |
1971年 | 与論十五夜踊が県の無形民俗文化財に指定される |
1993年 | 与論十五夜踊が国の重要無形民俗文化財に指定される(登録名:与論の十五夜踊) |
2011年 | 与論十五夜踊450周年祭が開催される |
会場案内 MAP

十五夜踊りは地主神社(鹿児島県大島郡与論町立長)で開催します。
会場内のレイアウトは毎年異なりますのであらかじめご了承ください。
また、当日は会場内への車両の乗り入れはできません。臨時駐車場をご利用くださいますようお願いいたします。
運営情報
開催日程 | 毎年旧暦3月、8月、10月の各15日 |
主催 | 十五夜踊り保存会・与論町・与論町教育委員会・ヨロンSC・ヨロン島観光協会 |
開催場所 | 地主神社 |
駐車場 | 臨時駐車場を開設する場合がありますが、場所に限りがあります。公共交通機関でのお越しをお願いいたします。 |
開催条件 | 小雨決行 |
問い合わせ先 | 与論町教育委員会:0997-97-2441 ヨロン島観光協会:0997-97-5151 |